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ピカソの絵

投稿日:2017年05月16日

帰山です

少し前の「日曜美術館」というNHKの番組でピカソ特集をやっていて、ピカソの絵を北野武が講評するというような内容でした。

それを見て思ったのですが。
自分は大学時代美術大学で絵を学んでいたのですが、前々から気になっていたのが「ピカソの絵は分からない」という方が非常に多いことです。
自分はピカソというが画家はとんでもない画家だと思いますしその作品も、真似できるような次元のものではないと思っています。

ですが、確かに分からない人からしたら分からない、というのも理解できます。

なぜ理解できない人が多いのか、というのは、単純にピカソの様な芸術的な絵の見方を誰も教えないからです。
ロシア語の文章を見せられて多くの日本人が「読めない」というのと同じことです。
日本では英語教育はありますがロシア語教育は無いように、日本の美術教育の中で芸術的な絵の見方をあまり教えないので、絵が好きで自分で勉強しようと思う人以外「ピカソの絵は分からない」となるのです。

小学校からの美術の授業はだいたい写実的な絵を、いかに綺麗に塗って描くかということが中心になっているように思います。
写実的な絵、は誰からも教わらなくても「すごい」というのが分かるのですが、なので結局多くの人の絵の評価基準は「写真みたいにリアルな絵かどうか」で決まってしまいます。
写真見たいな絵とは違うピカソの絵は判断基準外なので「分からない」となるのだと思います。

でも本当の絵の評価基準というのは写実的かどうか、だけではないのです。
絵の本当の価値というのは簡単に言えば「言葉や文字、写実的な表面の描写だけでは伝わらない思いを色や形で伝えること」だと自分は思っています。

例えば歌は歌詞とメロディーがあります。
歌詞だけを朗読しただけでは伝わらない、言葉に出来ない感情をメロディーにして伝えることで感動を与えるのが歌だと思います。
絵もそれと同じです。

絵で言えば、例えば知らない人の写真を見せられて、その人のビジュアルは分かりますが、その人がどういった性格なのか、何を考えているのか、どういう人生を歩んできたのかは分かりません。
その人を描くことで、その人の内面までも一緒に表現しようというのが絵画の本領であり、ピカソの絵というのはだいたいそれを目指しているのだと自分は思います。

スナップ写真のように表面だけを映しただけでは伝わらない内面を、色や線や形で何とか表現できないかと試行錯誤した結果、ピカソのあの良く分からない絵が生まれたのだと思います。

下にピカソの「泣く女」の絵と、泣いている女の人の画像を並べてみました。
比較できるようなものではないのですが、例えば「鬼の様な形相で泣く」といったオーバーな表現があるように、ピカソの絵の方はなんとか、線や色や形で泣いている女の人の心の中を表現しようとしている、それを見る人に伝えようとしている、というのが分からないでしょうか。

目玉が飛び出したようになっているのは、いわゆる漫画的なオーバー表現です。
顔が不自然に歪んで、肌の色が宇宙人みたいに緑色なのも、その人の異常な精神状態を表情や肌の色であらわしています。
背景が窮屈そうで、ジメジメとした暗いグレーの色の部屋で顔の横に不自然なドス黒い影があるのも、泣いている女の人の心象風景を映し出しています。
そんななかで唇と頬だけ女性らしいピンク色で、ハンカチが真っ白なのも、逆にそれがコントラストになってインパクトを出しています。
適当に何気なく描かれているような絵の中に、それだけの計算された表現が入っているのですし、ピカソの表現はこれだけではありません。

結局の所、この絵の女の人が何のために泣いて、どれくらいかなしいのか、などということの答えは無いのですが。
写真とは違う何かを感じたらそれがピカソの凄い所なのだと思います。

とはいえ……自分も分かったつもりで見ているだけなのですが。
「こんな無茶苦茶な絵は訳が分からない」という前提で見るのではなく、「何を伝えようとしているんだろう」と耳を傾けるような気持で見てもらえると、何かが伝わってくるのではないかと思います。
ピカソの絵から伝わってくるパワーのような物を感じてもらえれば幸いです。

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