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首里城

投稿日:2019年11月14日

こんにちは、松宮です。

年末の準備を進めないといけない時期がやってきました。本日の記事ですが10月31日に起こりました、首里城全焼に伴い、私もかなり衝撃を受け頭から離れなかった為、首里城について書いて見ようと思います。

まず首里城はかつての琉球国王の住居であり、政治の場でもありました。一番の特徴は中国や日本の文化を参考に独自の琉球文化が築かれた為、青竜や朱色が使われています。竜柱が特に代表的で竜そのものが柱となったのは琉球文化だけだそうです。そんな首里城ですが、実は今回の火災で5回目の焼失となります。焼失が多い印象ですよね。歴史を見てみましょう。

  • 1回目1453年王位争い(志魯・布里の乱)
  • 2回目1660年火災
  • 3回目1709年火災
  • 4回目1945年沖縄戦

となっております。 火災が3回ですが、首里城の内部は壁が少なく、広い空間のある構造であることと、外壁が漆塗りで燃えやすい素材であることから炎が広がったのではないかと言われています。

今回はイベント開催期間中だったという事ですが、ここからはどのようなイベントが行われてきたか、紹介したいと思います。

1月

新春の宴は琉球風のお正月の儀式で朝拝御規式(ちょうはいおきしき)とも呼ばれ 3部に分けて行われます。

第1部「子之方御拝」(にぬふぁぬうぬふぇー)
お正月を祝い、琉球の平和を神様に祈る儀式です。

第2部「朝之御拝」(ちょうぬうぬふぇ)
諸臣が国王への忠誠を誓い琉球の繁栄を祈る儀式です。

第3部 大通り(おおとーり)
国王をはじめ、諸臣が当時貴重であった「泡盛」の盃を回し飲み国王へ感謝し、王孫繁栄を祈る儀式です。

百人御物参(ももそおものまいり)
首里城内外の神聖な場所、(御嶽)を神女と呼ばれる巫女さんのような女性達がお参りし、国王の長寿と子孫繁栄、航海安全、国土の安全、五穀豊穣が祈願する儀式です。

9月

中秋の宴は 中国皇帝の使者である「冊封使(さっぽうし)」を歓待するために開かれた冊封七宴(さっぽうしちえん)を再現します。

10月

首里城祭は古式行列が再現されます。これは国王が城下のお寺にお参りに回る琉球王国のお正月行事です。

開園時

御開門式(うけーじょー)は開園の儀式です。

多いですね。調べるまで知りませんでしたが、本当に沖縄の方々に親まれてきたのがよく分かります。

私は11年前に修学旅行で足を運ぶ事が出来ました。本当に大きくて鮮やかでとても綺麗でした。

沖縄の方々、特に沖縄戦での焼失をご存じの方々の喪失感は計り知れないと思います。 心より、お見舞い申し上げます。

まだ、見たことがない方も行事・儀式などで検索して見ていただければと思います。

再建を心より、お祈りいたします。

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