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私の人生の音楽世界の原点

投稿日:2023年04月19日 テクノロジー トピックス ライフスタイル レコメンド

こんにちわ、サカタです。
毎日暖かくなってきましたね。ただ、花粉も増えてきたようで鼻や目が辛いです。
皆様のご加減はいかがでしょうか?

さて、私は幼い頃初めて母にせがんで買ってもらったシングルレコード(7インチアナログレコード、いわゆるドーナツ盤)は「およげ!たいやきくん」でした。
1975年、500万枚以上の大ヒットだったそうです。(でも子門真人さんは印税契約していなかったとか。)

次にお小遣いで買ったLPレコード(12インチアナログレコード)は「宇宙戦艦ヤマト」のレコードでした。もちろん初代のもので内容ははっきり覚えていませんが、木星の浮遊大陸編のドラマも入ったものだったと覚えています。
そして中学生になって初めて自分用のラジカセ「SONY CFS-D7 Sir-III」を買ってもらったので、テープ用ノイズリダクションシステムDolby NRも搭載されていたので初めて買ったのがイエローマジックオーケストラ(YMO)のベスト盤のミュージックカセットでした。
(ラジカセ購入後まもなく復帰したばかりのジョンレノンが殺された事も強く記憶に残っています)

今年の1月、YMOのドラマー高橋幸宏さんが亡くなられました。続いて先月、教授ことキーボードの坂本龍一さんが亡くなられました。
これを今だにうけとめられずにいます。

私の音楽の世界や趣味が始まった原点はYMOでした。YMOからシンセサイザーが好きになり、当時はオーム社からシンセサイザーの技術本しか出ていませんでしたが、夢中になって読みました。
(その本には将来いつか電子楽器だけライブ演奏ができる時代が来るかもしれませんねと夢物語のように書かれていたのに時代が感じられます)
日本ではRolandとKorgが2大メーカーでした。ただの中学生にとっては価格的に高値の花でしたので、地元の楽器屋でカタログ集めをしたり、土日によく梅田に映画を観に行った後に当時大阪駅前第2ビルにあったRolandのショールームに入り浸り、飽きるまでシンセサイザーをいじっていました。KorgはSoundMakeupという小冊子を会員になって送ってもらっていました。

ラジオではNHK-FMで火曜の夜には坂本龍一の「サウンドストリート」という番組があって、欠かさず聴いていました。
一度作曲からレコーディング~ミックスダウンまでの一部始終を放送する特集があって、YMO3人のメンバー分あって、大変興奮しました。
FM-Osakaでは土曜の昼から、「歌謡ベストテン」「ポップスベストテン」をよく聞きました。これらの番組から特に中学生時代は洋楽への興味がひろがりました。
AM深夜の朝日放送では東祥高さんと若宮テイ子さんがシンセサイザーの番組をやっていて一度何かのプレゼント企画に当たって景品をもらいました。
そしてこの頃はもっぱらラジカセでエアチェック(ラジカセでラジオの音楽番組から好きな曲だけを録音する事)が日常でした。

また、シンセサイザー繋がりからクラフトワークや冨田勲や「スイッチトオンバッハ」のワルター・カーロス(当時/後ウェンディー・カーロス)等も聞くようになりクラシック音楽にも興味がひろがりました。
映画が好きもあったのでサウンドトラックからジョン・ウィリアムズやヴァンゲリス、エンニオ・モリコーネ、ジョン・カーペンターの音楽も好きになりました。

そして教授がサウンドストリートで紹介してくれる様々な音楽にも興味が広がりました。時代も80〜90年代はニューウェーブ(やニューロマンティック)という音楽のムーブメントがあり、その頃はレンタルレコード屋(アナログレコードを借りる店です。盤面に傷をつけると買取等のルールがあり気を使いました)でよくレコードを借りては、その頃揃えていたオーディオデッキで録音したものでした。

大学生になったら同級生や先輩に軽音楽部の人が多かったので、自然と古めのロックやジャズ等にも興味が広がりました。


そして先月また一つ年を取って、もうすぐアラシックスというのに今だに鍵盤は弾けません。(社会人10年目頃に上司とバンドを組んだ事があってベースをほんの少しだけやりましたが、今はもう弾けないと思います)


やはり私の人生の音楽世界の原点はやはりYMOだったと思うのです。
なので訃報を知った時はただ呆然とするばかりでした。 未だにどう受け止めてよいかわかりません。
年を取るにつれ、これからも音楽に限らず様々な分野でこのうようなことは増えていくのだろうと思います。寂しいですね。

お二人には謹んでご冥福をお祈りいたします。
また細野晴臣さんにはまだまだ長生きしてくださるよう願っております。

皆様にも自分の音楽の原点はありますか?
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